【奈良】平城京はもっと広かった? 南端の九条大路南に道路遺構

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1: みつを ★ 2018/06/14(木) 04:11:33.55 ID:CAP_USER9
奈良県大和郡山市の平城京南方遺跡で、奈良時代の都、平城京(710~784)を碁盤の目状に区画していた条坊(じょうぼう)の一部とみられる道路遺構(8世紀前半)がみつかった。市教育委員会が発表した。2007年の調査で、京の南端とされてきた九条大路の南側で十条大路跡の一部とみられる遺構が確認されていた。市教委は造営当初はより大きな南北十条の構造だった可能性が強いとみており、平城京の造営過程の解明に迫る成果として注目される。

平城京は、中国の都にならって碁盤の目状に東西・南北に走る道路で区画され、中央を南北に走る朱雀(すざく)大路を境に東の左京、西の右京に分けられていた。市教委によれば、昨年3月と今年2~3月、九条大路の南側の右京域にあたる2カ所で計204平方メートルを発掘調査し、それぞれの調査地から東西道路跡(幅6・5メートル)と南北道路跡(幅4・2メートル)がみつかった。

東西道路跡は九条大路と十条大路の中間に位置し、大路よりも幅が狭い「条間路(じょうかんじ)」とみられる。南北道路は朱雀大路と西一坊大路の間を並行する「小路(こうじ)」とみられ、右京域まで条坊が整備されていたことが明らかになった。

(略)

現場は埋め戻され、現地説明会はない。(筒井次郎)

全文は
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL6D5SRWL6DPTFC01V.html 


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Source: 歴史的速報@2ch
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